第3の性
性に議論に関しては、ドイツも次第に寛容になっている。しかし日本では夫婦別姓すら認められていない状況である。他の国々との世界観の乖離は更に拡大してゆくのであろうか。日本はこのまま化石化してゆくのか、あるいは「伝統の国」日本としてその独自性を発揮するのだろうか。
第3の性別の申請:自分で決めさせて!
自分の性別の変更手続きをしたい人は医者の証明がいる。そもそもなぜ?
17.06.2020, 17:09 · Aktualisiert: 17.06.2020, 17:09
ドイツで一年半前にようやく第3の性別の申請ができるようになったといっても、すべての性別の自由と自決が尊重されるような先進的な国になったというにはほど遠い。性別の申請の変更は今のところ一定の肉体的な性的特徴に関する医者の証明書がなければできない。火曜日の連邦憲法裁判所への抗告はそのことをそのことを改めて明確にした。「人間は最終的に専門家によって、トランスジェンダーやノンバイナリーの人々も含めて、その固有の性別を確認されねばならない、。」
憲法訴願は「自由権のための社会」とLann Hornscheidt ラン・ホルンシャイトが一緒に申し立てし、2020年4月22日の連邦裁判所の判決に異議を唱えるものである。Hornscheidtは自分自身を男性とも女性とも同定せず、自身の性別登録を出生証明書から抹消させようとしていた。連邦裁判所はそれを拒否したのである。と言うのもHornscheidt は必要とされる医師の診断書を欠いていたからである。診断書は当人が「性の進化の変異体」である事を証明するものでなければならない。通常それは肉体的な性的特徴を持って生まれ、一般の男らしさや女らしさのイメージから逸脱しているインターセックスの人々を指している。
第3の選択はすべての人に開かれているわけではない。
この憲法訴願でホルンシャイトと「自由権のための社会」は、自分のアイデンティティが一致しない場合には、例え医師の診断書がなくても、すべての人が自分の性別の登録を変更する事ができるようになることを目指している。
住民台帳にようやく性別の項目として第3の選択ができたのはよいことである。これは活動家や関係者の長期にわたる法的な戦いのおかげであり、この人々は連邦裁判所に抗告し、2017年の10月に、立法府が「男」や「女」という二つの範疇にそぐわない人々のための規定を考えねばならなくなったためである。しかしながらこれに基づいて議決された法律は、未だに多くの人々を排除している。現在の形での法律に反対し、自分で決められる性別の登録を求めるための42000人以上の署名を集めた請願は無駄ではなかった。現在されている法律の問題点の幾つかは以下のようである。
〇自分を男性とも女性とも考えていない、ノンバイナリーの人々はドイツの法体系の中では考慮されていない。住民台帳にある選択肢の「devers 多様な」は intersexuell 両性の人間を対象としている。特定の肉体的な特徴に関係なく、自分を男性とも女性とも考えないラン・ホルンシャイトのような人は、多くの場合、必要とされる医師の診断書をもらうことができない。
〇ラン・ホルンシャイトのようなケースでは、裁判所は、既に部分的に幾度となく憲法違反であるといわれている、性転換をした人々に長期の、そして費用のかかる手続きを強いるトランスセクシュアル法(TSG)を参照する。 この手続きでは二人の心理学者の鑑定書を基に、自分がトランスである事を証明しなければならないのである。
〇性別の登録には肉体的な特徴だけが決定的となるということは、学問の現状とも連邦憲法裁判所の判断とも一致していない。2019年の12月の家庭高齢者婦人少年庁(BMFSFJ) が嘱託した法律意見書では、性別登録の変更に際しては様々な観点が考慮され、本人の感じる性のアイデンティティが考慮されねばならない,他のあらゆる点は憲法に違反するであろう、と言う結論に至っている。幾つかの裁判所は個々の事例ではまさにそのような判断をすでに下している。
自分自身よりもその人物の性別意識についてよく知っているような医者はいない
とりわけ性別の登録の変更についての法的な規則は後見的である。生まれたときに女性と分類されたシスジェンダーの女性が、自分は女性であると主張すれば、誰もそのことを問題にしない。それに対してトランスジェンダーやノンバイナリーの場合には、法律はどこかの医者や心理学者のほうが、その本人よりも性アイデンティティについてよく知っているという前提にたつのである。更にまた、国家にとって、市民の性別が出生の際に決められた男とか女とかの分類から逸脱するや否や管理をし続ける、ということがそもそもなぜそんなに重要なことなのであろうか。
ある人間が男と感じたり、女と感じたり、そのどれでもないとか、そうしたものとは全く違うものであると感じるのは、本人以外誰もよりよく分からない。従って、自分の書類にどの性と書くかは、医学的、心理学的な鑑定や費用のかかる高額な手続きなしに、本人に決めさせるようにすべきである。これこそが真の自己決定であり、平等待遇というものであり、更に今の規則よりも恐らく憲法に沿ったものであろう。