教会とコロナ危機
日本人にはあまり身近ではないが、他のいくつかの国では、宗教団体が集会禁止の規則を守らずに感染が拡大している場合もある。信者にとって教会に行くことは大きな意味を持ちうる。しかしコロナ危機の前では、集会の自由や信仰の自由が部分的に制限されることになる。何よりも命が大事ということであろうか。
tagesschau April .7.
教会でのミサにも音楽コンサートにも同じ事が当てはまる。復活祭の前に確かに信者の間では不安が高まっている。しかし行政裁判所にとって、判断はこれまで明白である。
ベルリンでは集会の禁止はミサにも当てはまる。行政裁判所はカトリック教会の緊急の申し立てを拒否した。St. Philipp Neri 友好会は、コロナ危機にもかかわらず50人までの参加者でミサを開催したいとしていた。その前提としては参加者は1,5メートルの距離をとり、リストに住所を記入すると言うことだった。
しかし裁判所の考えは違っていた。確かに裁判所は宗教の自由への介入である事は認めたものの、それは、矛盾する基本権と憲法の優位性によって正当化されるものであるとした。また、時間的に制限された禁止は相対的なものである。と言うのも、個々の静かな教会への訪問は許されているし、家族のメンバーでの個人的なミサも同様に許可されているからである。更にメディアを使ってミサを放映することも可能だからである、としている。
教区は特に、教会における信者の健康は、椅子にマークをして適切な距離を取れば、スーパーマーケットにおけるよりも効果的に護られるし、さらに信者の心理的な影響が心配されるとしていた。
それ以前に、ヘッセンの行政裁判所は既に集会の一時的な禁止を合法であるとしていて、ローマカトリック教会の緊急申し立てを拒否していた。
カトリックの司教区とプロテスタントの州教会は、全土に渡って集会の禁止を尊重し、とりあえず公のミサを止めるように要請した。しかしすべての人がそれを了解したわけではない。
憲法の専門であるHorst Dreier はRheinischen Post新聞に、こうした禁止はとても問題であると批判している。まさにコロナ危機の中で多くの人々は精神的な啓発や宗教的な勇気づけを望んでいる。それで彼は禁止にショックを受けた。また、なぜミサが違う形でできないのか疑問に思った。Dreierは、教会での人の数を制限し、距離の規則を導入し、一日数回ミサを行うことを提案している。オンラインでのミサは本当の代用にはならない、と彼は述べている。
プロテスタントの神学者でベストセラー作家の Peter Hahneは月曜日にNeuen Osnabrücker Zeitung新聞で、信者が実際にそこにいないミサがなければ、教会というブランドの中核が脅かされている、と批判をした。